私の思い出 京三中・山城高校バスケットボール部
上京中学教諭 南波道雄
十年をふりかえり進まう
山城高校バスケットボール部監督
小森正己
男女を一緒に見ていた記録を見ていると
矢張りいくら元気でも
どちらかに力が注がれていた結果が出ている。
従って私の病気を機会に丸山先生(現 細川先生)が、
来て呉れた事は、全く山城には幸運であった。
兎に角、女子は身体の都合で私が専念し、
男子の指導を丸山先生が専念してくれる事になった。
若さと力強さで生徒にぶつかった
丸山先生の三年ほどは成果がみられない訳ではなかったが、
今一息の所で涙を呑んだ。
私も直系の後輩の指導に一種の信頼感を感じづつも
不安がないでもなかった。
この不安を一掃して呉れたのは、西日本優勝で、
八分どうり任せられると思った。
その翌年からは殆ど任せられると思った。
完全に任せたのは武蔵に敗れた時に
彼の作戦の正しさが立証されたからである。
その後の細川先生の指導は全く筋を通した立派なものである。
研究と洞察が充分なされている。
私も女子に専念する気持ちになったのはその頃からである。
山城高校の優勝を喜ぶ
京都バスケットボール協会副会長
松下電器監督
遊津 孟
歴史 京三中・山城高校バスケットボール部
昭和28年度: インターハイ、国体代表となる。(新潟、高松)
近畿大会優勝、インターハイ第4位
西日本大会第3位
(小森先生入院)
昭和29年度: インターハイ代表
(丸山(細川)先生赴任)
昭和30年度: インターハイ出場ならず(堀川に敗る)
(9月小森先生復職、
男子丸山、女子小森先生に指導決まる)
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2002年 ・ お正月恒例の現役vsOB・OG戦
●2002年1月3日 10時 山城高校旧体育館に於いて◆Girls
《バスケにかけた、体育館建て替え》
OBやOG 青春しのぶ:山城高
《取り壊し決まった:山城高体育館コート》
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年02月04日09:09
[京都高校総体 バスケットボール 桃山高校:山城高校]
昭和37年(1962)5月
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